高 沢

高沢棚田

隠れ念仏の里

高沢集落は隠れ念仏の里として知られています。中世に静岡からここ球磨地域にやってきて、多良木荘を収めた相良氏は徐々に権力と支配地域を拡大しながら、近世に至るまでの700年もの間、人吉・球磨地域を治めました。
江戸時代に相良藩は浄土真宗(一向宗)を禁止しましたが、高沢地域の人々は取り締まりの目を逃れて、従来どおり浄土真宗の信仰を密かに続けました。隠れて講を組み、集会施設を設け熱心に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けたのです。現在高沢集落にある集会所が説教所になっており、当時から拝まれている阿弥陀さんが飾られ、毎朝集落の方々がお仏飯を供えられています。集会場に入ると何の変哲もない集会場のように見えますが、奥の壁が隠し扉のようになっていて、3つの仏壇が設置されています。隠れ念仏の進行は、今なお高沢集落では存続しているのです。

 
 
PAGE TOP